大阪国際女子マラソンは、新型コロナの影響を考慮し、
無観客の周回コースで行われ、
東京五輪代表の一山麻緒選手が大会記録で初優勝。
同じく東京五輪代表の前田穂南選手が2位。
日本記録更新を目指した男子のペースメーカー、
川内優輝選手が存在感ありました。
本日の一枚は、渋谷区立松濤美術館です。

敷地面積:1,034.57平米
延床面積:2,027.18平米
建物構造:鉄筋コンクリート造、地上2階地下2階建
着工:昭和53(1978)年12月21日
竣工:昭和55(1980)年5月8日
開館:昭和56(1981)年10月1日
設計は、白井晟一研究所
施工は、株式会社竹中工務店東京支店
https://shoto-museum.jp/aboutthemuseum/outline/
以前ノアビルでご紹介した白井晟一氏の晩年の代表作でもあります。
渋谷区の松濤という高級住宅地の中の住宅に囲まれた狭い敷地に
力強い圧倒的な存在感です。
美術館建設計画は昭和48(1973)年3月に制定された
「渋谷区長期基本計画」の策定の中で、
教育文化の向上の一つとしてとり上げられました。
当初予算の建設費では白井の設計意図どおり施工することはできず、
結果的には区の標準単価の倍ぐらいの予算となりました。
このエピソードにも建築家白井晟一のカリスマ性を感じます。
施工中の設計変更も多く、
中でも外壁に使われる石材の変更は、
原設計では恵那錆石を使用する予定でしたが、
もう少し明るい感じを出したいという白井の発想により、
韓国ソウル郊外の石切場から採れる
強いピンク色の花崗岩を使用することになりました。
この花崗岩に目を付けた白井は「自然の発見」と自負し、
名前がなく日本では誰も知らないような石であったため、
自ら紅雲石と命名して日本へ持ってきました。
https://shoto-museum.jp/aboutthemuseum/project/
建築家として有名な白井氏ですが、評論家の長谷川堯は、
若き白井が留学中のパリで当時の流行作家林芙美子に出会い、
激しい恋に落ちたことにふれています。
芙美子の創作である『巴里日記』にその一端が描かれています。
若者の街渋谷の住宅地にロマンが広がる空間がありました。
では、次回をお楽しみに