パラリンピック、リオデジャネイロ大会は、
18日の最終日を迎え、
日本のメダル数は24個になりました。
金メダルがゼロに終わりましたが、
そこは次回東京大会に期待です。
本日の一枚は、祝園(ほうその)神社です。

京都でも南端に位置する
相楽郡精華町にある神社。
その由来は、古事記や日本書紀に、
この神社の周辺にまつわる伝承が書かれています。
崇神(すじん)天皇が、全国平定に乗り出し、
現在の精華町がある南山城地方の、
豪族の武埴安彦が反乱を起こしましたが、
天皇軍の手に落ち、木津川で退治されました。
戦乱の後も彼の霊が天災、
疫病となって人びとを悩ませたので、
首の飛んで来たところに湧出宮が、
胴体が遺されたところに祝園神社が建てられ、
武埴安彦をはじめ、
戦いで散った者たちの霊をおさめ、
農作物の豊作を祈念しました。
文字だけ見ると何か御目出度い印象ですが、
この「祝」を古語辞典で引くと、
「罪やけがれを放(はふ)り清める意」とあり、
神社に属して神に仕える職の一つともあります。
天皇の軍が、逃げる兵士を斬り、
死体が「溢(はふ)」(あふ)れた
(日本書紀)ところから、
その地は「ハフリソノ」と名付けられました。
「祝(はふり)」苑
今でも、毎年正月甲申の日より3日間にわたり、
いごもり祭、と呼ばれる奇祭が行われているようです。
白装束姿で大たいまつを持って練り歩く御田の儀で、
氏子が病魔に見立てた竹製の「綱」を引き合い、
健康を祈る綱引きの儀、
氏子たちは祭りの3日間は音を立てない生活をまもる。
音を出さないため窯のふたを縄で縛るなどされる。
だとか。
訪れた日は、神社の方も不在でひっそりとした感じでしたが、
お祭りの日は、街の人で賑わう所なのでしょうか。
今でもこの木津川の近くには
何やら貴重な化石が埋まっているらしく、
なかなか工事が進まないこともあるようです。
神社の森に歴史あり。
ちょっと不便な場所だけに、
改めて感慨深いものを感じた次第です。
では、次回をお楽しみに