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交渉の印象
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卓球全日本選手権の女子シングルスで、福原愛選手が初優勝。
挑戦13度目にして初V、おめでとうございます。
今23歳で卓球歴20周年という記念すべき年だったのも良かったですね。
グローバル化が叫ばれて久しいですが、
日本のグローバル化の始まりは、
やはり幕末が挙げられます。
幕末の開国の契機になったのは、
1853年、アメリカ海軍のペリーが浦賀沖に来航し、
翌年、下田との開港が決定し、ペリー艦隊が上陸します。
下田は、江戸幕府が外国船の入港を許した日本初の開港場です。
その後、日米和親条約、下田条約(日米和親条約付録)が結ばれます。
その度重なる交渉の経験から、ペリーは交渉上手だと褒めています。
(「ペリー艦隊日本遠征記」から)
ペリーに次いで来日したのが、タウゼント・ハリス。
このハリスが駐在した玉泉寺にあった宿が、日本初のアメリカ総領事館。
ハリスも、「喜望峰以東で最も優れた人民」と
日記(「日本滞在記」)に書いて褒めています。
隣の清国では、アヘンや戦争で国が荒れ領土の割譲もありました。
アメリカ政府が、武力行使をしない理由には、
日本の官僚がペリーやハリスが認めるほど優秀だったことも一因だったようです。
黒船来航で、幕府の役人が狼狽していた印象を抱きがちですが、
実際には有能で実に上手に対応している面が窺えます。
1862年にハリスは日本を去り、
ペリー来航から9年間で下田開国史は一段落しますが、
今も、歴史を変える出来事に関わった人々の足跡を見ることが出来ます。
日米修好通商条約では、関税自主権がない等、
不平等な関係を生み出した問題点もありましたが、
植民地化もアヘンの持ち込みもなかったのは、
双方が納得した交渉の結果と評する方もおられます。
今も日米の関係は濃密なものですが、
ペリーやハリスが抱いた日本人への印象を得たいものです。
弊社の交渉に、今年から新たに
新人社員がお客様への営業・保守サービスを始めています。
経験が浅いながらもお客様との交渉で関心を持って頂ければ、
また、皆様にとって多少のお褒めの言葉を頂ければ幸いです。
では、次回をお楽しみに